テレビニュースを見ていると、主に天気予報など、終盤のコーナーに、花やお祭り、それに作物の収穫といった季節の映像が紹介されることがあります。例えば、桜をはじめとした花の映像は見覚えのある方も多いでしょう。テレビ局の内部では「ヒマネタ」や「尺調整」などと言われる場合もありますが、日本人ならではの季節の移ろいを感じられる映像に癒された視聴者も少なくないのではないでしょうか?
映像がメインのいわゆる「スケッチ」や「絵解き」と呼ばれるこうしたネタ。実は報道現場では、様々な思惑があって取り上げています。今回はこうした「季節の話題」俗に「季節ネタ」について、テレビ局が取り上げる意義と目論む波及効果などを、ご紹介していきます。
「季節ネタ」は立派な「ジャーナリズム」
タイトルにもありますが、よく「季節の話題はニュースなの?」と問われます。局によっては「ニュースで地方の祭なんて報じるな」とか「青果の収穫よりも政治や国際経済の話題を優先しろ」といったお叱りの投書が寄せられることもあるそうです。
新聞・テレビを問わず、記者の世界では「天気に気がつくことは、名記者の第一歩」と言われます。いわゆる「若手の登竜門」社会部取材の基本と言ってもいいでしょう。例えば、収穫モノの取材は天候次第で内容が大きく変わります。不作なら、農産物の価格が上がり、消費者の生活を直撃しますから、これは経済ニュースの立派な入口です。他方、農家への損失補填が話題になれば、政治取材も絡んできます。また「好天で豊作だったが、夏場の高温で海水温が上がり、雪雲ができやすくなる」とすれば、冬の豪雪を予測することも可能になってきます。
これは収穫モノに限った話ではありません。お祭りに目を転じれば、「担い手がいなくなって、トラクターで神輿を引っ張る」といった具合に、地方が抱える過疎化や高齢化が浮き彫りになります。事件・事故のように、時々刻々と変化していく派手さやスリルはありませんが、例年との比較や、その年の天候の影響など、長期的なスパンを原稿の中に織り込んでいくことで、立派な「社会派」の題材に昇華します。
ジャーナリズムの語源は「日記をつけること」季節の移ろいに社会の抱える問題を反映させることは、社会部取材はもちろん、政治や経済、外信に至るまで、様々な取材に応用が利きます。加えて最近はネット全盛の時代、テレビだけでなく、ネットニュースにも季節の花やお祭り、青果の収穫といった写真がアップされるようになりました。つまりメディアを問わず「季節ネタ」は、「大きな可能性を秘めた小さな入口」ともいえます。
視聴需要の多い「季節ネタ」
「季節ネタ」の取り上げ方は局によってさまざまですが、おおむねキー局とローカル局で別れます。キー局だと、政治経済のいわゆる「硬派ネタ」や事件事故などの「発生モノ」、そして「スポーツ」と続いて、季節ネタは主に「天気予報」コーナーの導入部で取り上げられることが多いでしょう。これに対し、ローカルは、花の開花はもちろん、地域のお祭りなどが、他のネタに優先するケースがあります。例えば、北国の場合、非公式ながら、ソメイヨシノが一輪開花しただけでも、トップ項目を飾ったりしますし、観光客の入込みが地域経済の浮沈に影響を及ぼす夏祭りなども上位に食い込みます。
「季節ネタ」は、視聴率の劇的な向上には結び付きませんから、硬派モノや発生モノに比べれば、優先順位が低くなりがちです。一方で、家と会社の往復に明け暮れ、花を見る余裕など無い企業戦士や、入院していたり、寝たきりだったりして、外出できない人にとっては、画面越しながら、季節の移ろいを感じる貴重な瞬間になります。「もう桜が満開かぁ…」「あのお祭の時期か。長らく見ていないなあ」などと感じてもらえたら、そのニュースには、人の心を動かす大きな意義があるといえます。
取材の流れと「うれしい誤算」
視点を変えて、取材者の立場からすると、こうした「季節ネタ」の取材は、ネタ探しが一つの醍醐味です。テレビ局は大抵、どの時期にどんなネタがあったかを記録する「出稿簿」をデータベース化しています。はじめは、そこから話題を洗い出し、役所や観光協会、さらには農協などに事前取材して、状況を確認します。中には先方から情報提供があり、「お土産」と称して、とれたての農産物などをいただく場合も珍しくありません。特に、地域住民に支えられているローカル局では、抱えきれないほどの戦利品をいただき、取材者が恐縮しっ放しという「うれしい誤算」もあります。
役所や農協の広報担当者にしてみれば、より多くの報道機関に報じてもらうことで、街や農産物のブランドイメージを向上させたいという目論見がありますし、取材記者にとっても、事件事故にありがちな「切った張った」がない分、余裕を持って付き合えますから、取材先との関係構築には、うってつけです。季節ネタの取材を通じて、双方にメリットが生まれます。
撮影や技術面の視点
映像撮影の視点で見た場合「季節ネタ」は通常と比べて、気を遣うポイントが変わってきます。事件や事故ですと、殆ど編集を意識しなくても、「ロング」「ミドル」「アップ」といったいわゆるベースになるパターンで撮影し、インタビューなどをはさめば、大抵、体裁が整います。
しかし「季節ネタ」は、花の美しさやお祭りのメイン行事といった「いかにも」という画角だけでは足りず「新たな見え方」までじっくりと撮影しないと、似たようなカットが続き、編集で苦労します。例えば、ソメイヨシノの開花を撮る場合、満開の順光カットだけでなく、あえて逆光で花びらを撮り、春の柔らかな日差しを表現すれば、カットをつないでいく上でのアクセントになります。
この他、借景や撮影時間帯によっても、映像の表現力は変わってきますから、カメラマンとしては、ニュース性もさることながら、「一つの作品を撮る」つもりで臨まないと、視聴者の心には届きません。
少し意外ですが、こういう取材は技術部門にとっても、中継できる地点のチェックに役立ちます。例えば、山間部の取材なら、「ここで事故が起きた場合、自営マイクロの電波は通るのか」「携帯を使った簡易中継は可能か」といったロケハンにつながります。そして集めた数字をデータベース化し、衛星回線を使うかどうかも含めて、いざというときの判断材料にします。ローカル局の中にはロケハンメインで、帰りに季節ネタの撮影といった「行きがけの駄賃」さながらのスケジュールを指示するデスクもいます。
「季節ネタ」は不要か
ここまで「季節ネタ」について、その効果や意義について、考察してきました。トップニュースになる機会はレアですが、季節の風景や行事の取材は、ニュース映像を通じて、「今」を伝え、その地域ならではのものが見えてきます。テレビは、実に多様な人たちが視聴しています。ネット全盛の時代でも、自分とは違う状況、境遇にいる視聴者がいることを肝に銘じて、取材にあたるべきでしょう。その意味で「季節ネタ」の取材は、記者やカメラマンとしての初心を確認できる「よすが」になっているともいえるのではないでしょうか。
テキスト:ナインフィールド
ディレクター 石川 淳